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2021.08.01
街の下で by マヒトゥ・ザ・ピーポー



新神戸の駅に降り立ち、外のタクシー乗り場に出るとラインプロデューサーの瀬島さんが手を振っている。手を振り返すと熱射で立ちくらみそうになった。暑い。車に乗り込み、フィルムオフィスの松下さんも合流してロケハンを開始する。すでに瀬島さんと谷村さんは二週間前に現地入りしていたため、この街の勘が研ぎ澄まされているのを車内での会話から感じる。映画の登場人物の住んでいそうな家やギターを担いで歩いていそうな海辺の道、通っていそうな飯屋、わたしがペラペラの紙の上に書いた脚本が匂いや輪郭を得ていく。もはやわたしよりも読み込んでいるのではないかと思うほどに詳細な考察は頼もしく、立体的に浮かび始めた構想はイメージを熱を持って加速させる。カットの構想が街に引っ張られてきられていく。

 

 

「こうやって映画はできていくのかー。」

 

 

素人を丸出してわたしの胸は踊っていた。二日目もロケハンは続き、その日の最後はシオヤチョコレートにいく。美術として手伝ってくれる子が現れたり、オーデションの話が回っていたり、街が『i ai』に向かって熱を帯びていくのがわかる。そのままの勢いで二日後にオープンを控えているスペースのお祝いにうたう約束をした。わたしの歌にお祝いのできる曲なんかあったかしらと冷静に考えそうになったが、ギターさえどこかで借りれたら案外大丈夫だと知ってる。

 

セミが鳴きじゃくっている。この声に負けないようにしなくてはと店を出て思った。いや、負けてもいい。一緒に鳴こう。

 

せっかく塩谷で歌うのでグッゲンハイム邸でもライブを企画した。一時間で写真を撮りフライヤーを作って告知をする。点と点が縁になり転がり出す。とても自然なことだった。

 

そのまま、阿部海太くんという絵描きに連絡をとってみると、なんと塩谷に住んでいると言うので、駅近くの海で待ち合わせた。わたしは彼の作る絵本が好きだ。会って話すのは初めてだったが、スルスルとこの世界の葛藤を話した。わたしの体から出てくる言葉から彼を信頼してることがわかった。海岸線で一曲彼に向けて歌を歌った。失敗の歴史」という曲。

 

翌日は明石の海にいく。しんぺいという頼もしい弟のようなやつが車を出してくれて、昨日ロケハンした場所を時間をかけて見にいった。ロケハンというからにはこの潮のしょっぱさだって知らなくちゃいけないから海に飛び込んだ。プロだからね。

 

体の力を抜いて浮かんでみると太陽の光と呼吸の音だけになる。途中から心臓の鼓動も聞こえだした。静かな時の中に浮かび、体の中で鳴っていた音を取り戻す。喧騒のような日々を追い払ってこの街に逃げてきたのだとわかった。この時間が欲しかったのだ。

 

焼けたコンクリートの匂い、二秒で飲み干すポカリスウェット。名前を知らない橙色の花。そのまま体を拭かずに歩いていると、白く薄い体が太陽にいぶされていく。この街の太陽に焼かれた体でこの夏を越えるのは悪くないような気がした。ただあまりに焼かれすぎて、遠足終わりのガキンチョのようにだれてしまう。ぐったりとした体のまま神戸入りしていた森山未來さんと合流する。

 

この頃の色んな話をした。生きていれば色々ある。暖簾をくぐるまで地面にめり込みそうなほど眠かったのに、睡魔はすぐに吹き飛んだ。身体と生きている人は摩擦を知っている。概念や言葉だけで生きるのは危険なことだ。肉体を持ってそこに人が生きていることを想像しながら使わないと、言葉は平気で人を壊す。わたしはこの人が好きだ。明日のグッゲンハイム邸のライブも見にいくと約束してわかれた。

 

 

ホテルの部屋で窓を開けるとぬるい風が吹いている。夜は蝉も鳴いていないんだな。少し脚本を直した。

 

 

翌朝、日焼けした体のピリピリで目を覚ます。ホテルを出て明石焼きを食べた。シオチョコの横のオープンしたスペースで三曲歌って、グッゲンハイム邸へ。リハを終えて2階に上がると海が見える。美しい場所だ。告知二日で160人、庭に広がって音を聞いている。遠いところは音が小さく、近くは大きい。でも、その音量の大小や距離に関わらず、関係している。そのことを強く意識した。見えなくなっても歌っていることが大切だ。なんだやっぱり『i ai』に向かっていく。この旅はすでに航海に出ている。

 

終演後、この映画に関わっていくであろう人たちとあれこれ話をし、皆が街を愛しているのが伝わってくる。明石、神戸、そういう記号としてではなく、暮らしにある切実さを灯さなければいけない。

 

帰りがけ、ライブの感想として未來さんは純度の話をした。切実に時間と関わろうとする時の純度のことだ。そして、その最後に「守ってね。」と言った。最初意味がわからなかったが今は少し理解できる。

 

コマーシャルと対岸にある純度。純粋というのは壊れやすく、薄い角膜のように脆い。しかし何にも代え難い美しさを持っていることを知っている。守るとは映画としてその純粋を守ることに他ならないと今は思う。さまざまな現場を経験してきた未來さんはこの映画に臨むスタンスが整っていったのだろう。

 

つまり「本当」という世界線に向かうってことだ。

 

答えはYES

 

はなからそのつもりでした。

 

気づけば八月に入った。立ち止まってる暇なんかない。蝉よりも爆音で水平線の上を駆け抜ける。

 

マヒトゥ・ザ・ピーポー

 

 


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